『子どもの貧困ハンドブック』 44年間、貧困率を把握しなかった日本政府

なるほど。「日本でも戦後の『浮浪児』『長欠児童』問題など」、「子どもと貧困」は社会的関心ごとだったのが、1950年代後半からの高度経済成長以降は「社会的関心は低下」して、厚生省(現厚生労働省)は1965年で「低消費水準世帯推計」をやめて以降、2009年に「相対的貧困率」を公表するまで、貧困率を把握していなかったんですね。

本書でも指摘していますが、「日本は貧困率の推計を持たない、すなわち、貧困を政策課題としてとりあげない」国だったと。

だけど、2000年前後から再び「社会的関心」が高まり、「貧困の再発見」の時期が訪れ、連動して「子どもの貧困」に社会的関心が集まります。

こうした背景に次のことが指摘されると言います。

1 子育て世帯の生活基盤の脆弱の進行

2 就学援助受給世帯や給食費「滞納」世帯の増加、国民保険制度での「子どもの無保険」問題などが報道され関心を集めたこと

3 OECDによる貧困率の国際比較と「子どもの貧困率」低減に関する政策的介入効果の日本の低さの指摘

『子どもの貧困ハンドブック』6P

その後、日本では2009年に初めて貧困率が発表されました。

ボクが労働組合に就職したのが2009年でした。その当時大きな問題となったのは、世界的金融危機「リーマンショック」(2008年)でした。このときに企業による無法な「一斉雇止め」問題が社会的な問題となり、「年越し派遣村」という市民・労働組合などの団体による取り組みが展開されました。

1986年に労働市場の規制緩和をする「労働者派遣法」が成立してから、非正規雇用は確実に増え続けていきました。その後、日本は「『格差社会』の方向に傾いている」との指摘の通り、それから「貧困の再発見」に。全体として賃金など人件費は、経団連の提言 『新時代の「日本的経営」』が発表されるなど、こうした財界の意向が幅をきかせながら、抑制方向に大きく舵を切っていきました。

人件費の抑制のされ方は「成果主義」「人事評価」システムの導入、「福利厚生」の削減・廃止などさまざまあると思います。特に正規雇用→非正規雇用への置き換えを急速に進めた 「派遣法」の成立とその後の「原則自由化」が猛威を振るったと思います。

政府の規制緩和で「格差は広げられ」、それとともに「貧困」が拡大していることを実感します。

法律や制度は、政治の場で決められてしまうのだから、やっぱり政治を変えなきゃと強く思う。さて、がんばろう!