「敬労(老)会」に参加 人生の先輩から学ぶこと

本日9月16日は町会の「敬労(老)会」の案内をいただきまして、参加してきました。

人生の先輩達が産まれた時代から、ボクが産まれた時代の生活、教育、政治、経済などの環境は本当に大きく変化してきたんだと、話を伺うとよくわかります。

世代を超えた対話を積み重ねることで、当時を経験した当事者と「全く同じ思い」とはなりませんが、当時の経験を当時者から学び、そして再び過ちが繰り返されないように、努力していくことが本当に大切だと実感します。

埼玉の空襲では、1945年8月14日の熊谷空襲がよく知られていますが、熊谷に次いで犠牲者が多かったのが蕨空襲です。蕨は米軍の爆撃機B29によって3回攻撃され、 50名もの犠牲者、家屋の焼失や全壊、半壊などは400戸に上る被害を受けました。春日公園付近はその1回目の空襲があった場所で、それでここに平和祈念碑が建てられました。
(元蕨市長の金子吉衛さんが『蕨の空襲と戦時下の記録』(1980年)で蕨空襲の被害を詳細に記録)

この話は別の機会に89歳の方から聞いたお話なのですが少し紹介します。

「当時のいわゆる音楽の時間は、戦闘機の音を聞き分ける授業だった。あと飛行機雲にも注意を払っていたかな。飛行機雲があるということは、戦闘機が来たことを意味するからね」

「いま日本がどんな状況なのかという情報も当時はほとんどわからなかった。戦争が終わり、先生から『今までの教育は間違ってました』と言われ、今まではいったい何だったんだと子供ながらに思ったなぁ」

「戦争はダメだ。これに尽きる。君は寝るときに、また寝ているときに、いつ爆撃が来るかなんて心配したことないでしょう。そういう時代だったよ」


本日の敬労(老)会。太鼓に踊りと大盛り上がり。もちろ
んカラオケも。ボクは坂本九さんで『上を向いてあるこう
』を歌いましたm(_ _)m