子どもたちの未来のために 貧困に対峙する社会づくりへ−学習会に参加していろんな気持ちが湧き上がる

11月11日、18時30分から蕨市内で学習会(主催 社会保障をよくする蕨の会)がありました。

講師は藤田孝典さん(NPO法人ほっとプラス代表理事、聖学院大学客員准教授、反貧困ネットワーク埼玉代表)。

講演する藤田さん

「闘わなければ社会は壊れる」

ソーシャルワーカーとして現場で活動する一方で、生活保護や生活困窮者への支援のあり方に関する提言活動、大学での講義など多方面で活躍されています。

ちょっとここで好きな本と大切にしていること

ちょっとここで、藤田さんの話に入る前に、ボクが好きな本とそこからの引用と、ボクが大切にしていることについて書きます。

労働者階級の状態は現在のあらゆる社会運動の実際の土台であり、出発点である。……この理論に賛成するにせよ反対するにせよ、あらゆる妄想や幻想に終止符を打つためには、プロレタリアの状態を知ることが絶対に必要である

『イギリスにおける労働者階級の状態 上』序文

これまでボクが労働組合で働いてきて、いろんな方と出会う中で学び得た「状態を知る」ことの大切さ。これは何をするにしても忘れたことがありません。何かを考える時も「状態を知る」からはじまります。もう癖ですね。だから何かを調べ始めるとあれやこれやと調べる範囲が広がるので、とても時間がかかります。もちろん割り切ることもありますが。

「状態を知る」には最適な本
『下流老人』『中高年ひきこもり』

それで、話しは今日の学習会の講師・藤田さんに戻るのですが、藤田さんが執筆された本はまさに「状態を知る」には最適な本なんですよね。『下流老人ー一億総老後崩壊の衝撃』(続編出てます)や『中高年ひきこもりー社会問題を背負わされた人たち』など、現実の課題、困難に直面している当事者にとって、いかに今の社会保障制度が脆弱なのかを浮き彫りにしてくれるんですよね。もちろん提言もされています。

個人レベルで解決できない困難・領域の問題

困難に直面している当事者を孤立させる。社会から個人を引き剥がすように、その困難を個人レベルの問題として矮小化させる大きな負の役割を果たしている「自己責任論」を突破する必要があるし、それには個人レベルでは解決できない困難・領域の問題があるという共通の認識が全体にひろがることがとても重要だと思う。そのためにも「状態を知」れる資料があること、またそれがオープンな状態であること、そして資料を読めて深く考えられ、議論する余力があることは欠かせない条件だと思う。

深く考えるための養育・教育
『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』

深く考えられるかどうか。このことについて、なるほどーと思って読んだ本があります。

『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』。まだ読んでいる途中ですが少し紹介したいと思います。
フィンランドの小中学校と高校で道徳に関わることを学ぶ科目に、人生観の知識があって、小学校の教科書の章立ては次のようです。

1 人生観の形式で学ぶ 友情 異質な事と寛容、一緒に生きること 私と自然
2 良い人生 人生観 倫理的な問題 人間と自然
3 正義と公平 いろいろなライフスタイル 子供の権利 自然の将来
4 人生観の知識での学習 思想の自由 文化 平等と平和 持続可能な開発

『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』

本書で解説していますが、自分の権利を知る事が「自己肯定感を高め」、また「他人にも同じ権利があることを知り、それを尊重することが義務になる」とのことで、「さらに権利が犯された時、それを不当な事と感じる能力も育つ」。また、日本の道徳について「権利を教えず、子供が進んで義務を果たすことを求め」、フィンランドの教育では「国家と親にも義務があることを教えている」と解説しています。

それから、高校の人生観の知識は、小中学校で学んだ課題をさらに深めるようです。高校でも中心的な課題は人権なようで、人権の根拠となるのは「人の尊厳」だとそのことをはっきり学ぶようです。また、教育を「自動的に受けるもの」としてではなく、自分が受けている教育の背後にあるものをチェックすること、考えることを促すこともしているようです。さらに、民主主義国家の教育と全体主義国家の教育の違いを次のように説明しています。

市民に知識を得る能力や動機、可能性がない場合、民主主義は単なる選挙権の行使に終わってしまう。養育と教育が、批判的に考える市民を育てることを可能にする。それは、民主主義を進める基本である。

国家が組織的なプロパガンダを行う全体主義的な国では、国民は国家のイデオロギーに従順であるように育てられる。そうした国では、批判的な国民は社会的危険、国家制度を揺るがす存在とみなされるので、自分で考える能力を発達させる価値は認められない

『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』

あと教科書は、「一人で解決できない問題がある場合は、集まって組織を作り、組織に、全世界に働きかける運動を行うこと……役人や政治家、企業と接触し、決定に影響を与えていく」ことの重要性を示しているようです。

小中学校、高校で養育・教育のなかで、「深く考える」ことを身につくようにしている「フィンランドの教育ってすごい!」って思う一方で、フィンランドはフィンランドであって、日本は日本。というネガティブな気持ちにもなります。でもこうした違いがあることを知れると、日本がもっともっと子どもや大人、すべてのひとにとって生きやすい国になる。そんな可能性があることを確信します。

「余力がない現状」だからこそ
伝わる、届く、響くような情報発信

深く考えられる議論する余力があるか。受験戦争・就活という言葉が日本にあるように、学生にもゆとりがない。もちろん教員も。「過労死」「長時間労働」「派遣・非正規」「低年金」などのキーワードがあるように、様々なところで余裕はないのが現状ですよね。

余裕がなくても、見てもらえる、伝わる、届く、響く、そういった情報発信が重要だと思っています。うん。SNSを活用して、そうなるように頑張ろう。

ボクもひとりの人間として、また活動家・政治家として、しっかり現場を見て、現場に学び、当事者に学び、社会運動に学び、活動(実践)していく決意をあらたにした学習会でした。藤田さん、ありがとうございました。