「たけした涼」について

生きる希望を見いだす少年時代

家庭の事情で大阪から埼玉へ。母とボク(当時、中学2年生)二人での生活がはじまる。母の仕事はなかなか決まらず、生活の目途が立たないなか、偶然にも日本共産党の党員の魚屋の店主と出会う。生活相談をするなかで「生活と健康を守る会」を紹介してもらう。

当時、母の仕事がやっと決まったものの生活は厳しく、そんな時に会の方々や日本共産党市議のみなさんが生活・就学などの相談にのってくれ、生活の見通しをつけることができ、ようやく自立の一歩を踏み出すことができました。

支援をいただいたみなさんから、生きるための「権利」「制度」を案内していただき、本当に救われました。

「ひとの役に立ちたい」

「ひとの役に立ちたい」。この気持ちは、これまでの生活や経験からより強くなり、高校を卒業後、2009年4月に自治体・医療・保育・介護などの分野で、非正規・正規で働くひとたちでつくる労働組合へ就職。

2008年リーマンショック。この問題で市民団体・労働組合が共同して「年越し派遣村」をとりくみ、その約1年後に国・東京都を動かして「公設派遣村」が実現し、わたしも相談会にボランティアとして参加しました。

「会社から経営不振を理由に解雇され、寮も追い出されてしまった。どうすれば…」

こうした相談内容は当たり前のようにありました。
一人ひとりが持っている権利、生活を立て直すための制度がこれほど周知されていなこと、そして働く人たちが「モノ」として扱われる社会、政治にたいして強い憤りを覚えました。

ココロにのこる取材を通して

ボクは仕事上、自治体・保育・医療・介護の分野で働くひとを取材してきました。国民健康保険の事務を担当するある自治体職員は仕事のやりがいについてこう語ります。

「保険料の滞納の理由には相談者の経済的な問題などさまざまな背景がある。状況に合わせて適切な制度を案内できるかが問われている。いつもではないけど、相談者からの『ありがとう』はモチベーションにつながる」

わたしは彼の言葉にとても共感しました。やはり重要なのは、支援を必要とするひとへの権利・制度の案内とともに制度の拡充が本当に求められていると実感した取材でした。

これまでの経験も力に 市議選挙へ挑戦の決意 「あったか市政」をさらに前へ

保育・介護・医療・自治体関係で働くひとを応援する労働組合(自治労連)で10年仕事をさせていただきました。

労働組合へ就職するまでの間に、母と私(当時中学2年生)の二人暮らしのなかで、さまざまな出会いから、「ひとの役に立ちたい」という気持ちが強まっていきました。

俗に言う「立派な学歴」はありませんが、自分の生い立ちと「ひとの役に立ちたい」その想いを労働組合の就職面接で伝え、以後10年間、働くひとを守る活動に携わってきました。

仕事をするなかで、「貧困」「格差」の社会問題をはっきりと認識するようになり、その背景に、政治のゆがみが、社会に大きく影響していることを、労働相談やボランティアでの経験、そして現場で働く方の声を聞くなかで、確信に変わっていきました。

「一部を奉仕する政治」から「みんなの政治」への転換が必要です。これまでの経験もしっかり活かして、くらしが豊かになるように、気持ちも豊かになるように、みなさんのくらしを支える活動に全力をつくします。

【略歴】
1990年、東京都荒川区で生まれる。関東圏内での引っ越しを繰り返し、小学校5年生から中学校2年生の2学期まで大阪でくらし、家庭の事情で埼玉へ。高校を卒業後、日本自治体労働組合総連合(自治労連)へ就職し、賃金労働条件調査、新聞編集・記者など担当。

現在、日本共産党蕨市くらし雇用相談室長。蕨市議会議員(2019年6月当選)。市北町に在住。